熱帯夜
a sultry night
 飲め、と言われ、朱塗りの杯を傾けると、ぐっと一気に飲み干した。
 生まれつき酒をあまり受けつけぬ体質の三成は、軽く咳き込んで杯を義弘へ突き出した。義弘は、息子の成長を楽しむような風趣に、杯を受け取ると手酌でなみなみと酒をつぎ、至福の声を上げながら悠々と飲み干した。

「三成よ・・・お主の頭は岩をも裂いてしまいそうなほど鋭いが、酒はからっきしダメなようだな」
「頭が聡いのと、酒が飲めることは、関係のないことのように思うが?」
 頬を赤らめ、目を鋭く光らせた三成が反論する。三成の言葉は尤もだ。義弘だってそんなことはわかっている。自分よりも年下の、さらには、子供でもおかしくないほどの年の差をもった三成という男に、酒で勝てたことが嬉しいのだ。
 もちろん、武勇についても、己に右にでるものなし・・・を自負している義弘である。しかし、三成の薩摩復興においての行政手腕には、舌を巻かざるをえなかった。島津家中では、あの男の頭の中がどうなっているのか、と不思議がるものもいた。もちろん、褒め称えての言葉である。それに反し、京や堺など、当時にしては先端である行政(や風習)を薩摩領内に持ち込むことを嫌がる輩も大勢いた。
 それを、上手く丸め込んだのが義弘である。義弘は、三成の公明正大な態度をいたく気に入っていたのだ。できるだけ、三成の手助けをしたいという思いがあった。
 三成も、同じように島津家を気に入っていた。当初は島津の建て直しを頼まれ、特別な情など入れずに真面目に、三成なりの任務をこなしていた。それを見た島津が、三成を見直し、建て直しの相談を行う・・・三成もそれに答える。そのように少しずつだが、両者は時間をかけて、今のような仲を築き上げた。

 そして、三成はなによりも薩摩の風土、気風が気に入った。温暖な気候であり、自然の持つ色彩は、目に眩いくらいに鮮やかな色をしている。人々ものんびりとした者が多く、忙しなく動く三成にとっては、最初はイライラさせられたが、今では心地よい。
 三成の育った近江の地とは、何もかも驚くほど真逆であった。そして、義弘という男の器量の深さは、この風土によって築かれたに違いない・・・と三成は信じた。
 それ以降、二人の親交は続き、酒を酌み交わしている、この島津屋敷の隣は石田屋敷であった。伏見に三つある石田屋敷の内の一つである。
 二人は、燈篭に火が灯された庭の深緑を見ながら、酒を勧めている。もっとも酒を水のように飲んでいるのは、義弘である。飲めども飲めども顔の色はかわらなかった。まるで、左近のようだ・・・と、三成は、今ごろ石田屋敷で、一人酒を楽しんでいるであろう男を思い出した。そして、すでに酒に酔ったのか、左近の人肌が恋しくなり始めた。
 他人を前に不埒なことを考えている自分が恥ずかしくなり、三成は頬を染めた。尤も、酒で染まっている頬だったので、義弘は気づきもしなかったが。動揺を隠すように、酒肴の味噌を口に入れ、酒を煽った。
 くらり・・・と頭が揺れた。三成の身体が、前傾した姿勢をとった。義弘が、慌てて三成の身体を支えると、香の匂いが三成の着物からふわりと漂った。どこかで嗅いだことのある甘い匂いだ・・・。遥か昔のことのようで思い出せはしない。歳をとったものだ、と義弘は苦笑した。

「薩摩の酒を甘く見ていると、こうなってしまうのだ」
 後ろから、身体を支えるように三成の身体を抱きしめ、懐かしくもある甘い匂いに目を閉じた。
「いつも、このように甘い香を炊いておるのか?」
「俺の趣味で、この香を炊いておるのではない・・・」
 前後不覚に酔いつぶれている三成が、呂律の回らない口調で答える。
「と、すると・・・おなごの趣味か?」笑顔を浮かべて問いただす。
「ちがう、左近だ」
「左近というと・・・島殿か」
 なるほど。そうだったか。義弘は合点がいったという風に、頷きを繰り返した。男が男に、このような甘い香を炊く理由は一つ・・・。
 三成は、才知にたけるだけではなく、美貌も兼ね備えた男である。そのようなこともあるであろう。はっきりとした言葉がなくとも、二人の関係性を知ることになってしまった義弘は、もう一度、三成の香の匂いを深く嗅いだ。後ろから抱きしめている腕に力が入る。その身なりは、女性の身体と変わらぬように思えた。
 そして、香の匂いの記憶が蘇った。初めて抱いた女の身体から、漂ってきた匂いが、まさにこれであった。今までに、数え切れぬほどの女を抱いてきた義弘であるが、初めての女のことは覚えていた。思い出すほどに、その記憶が三成へと繋がっていく。
 切れ長の涼やかな目に、機知に富んだ会話、そして香の匂い。義弘の心はすでに、十数年前の若かりしころに戻っていた。
 目の前にいる男が、初めて抱いた女でないことはわかっている。わかっていたが、止められぬ思いが溢れ出していた。三成の耳朶を咥え、手を胸の中へと滑り込ませる。膨らみのない胸を揉んだ。
「ん・・・・・・さ、こん・・・」
「・・・・・・」
 このような濡れ場で、他の男の名前を呟かれた義弘は、落胆の溜息を大きくついた。そして、おもむろに大笑いを始めた。
 その声の大きさに驚いた三成が目を覚まし、抱え込まれている義弘の手をぎゅっと握った。
「目を覚まされたかな?」
「あぁ・・・」
 声を振り絞り、痛む頭を手でこんこん、と叩いてみせた。
「義弘・・・すまぬ。このような無様な醜態を晒すとは・・・」
「いや、気にしなくともよい。お蔭で、わしはお主の弱点を見つけたからな」
「うむ・・・酒とはどうも相性がよくないらしい・・・」
 そうか。しかし・・・と義弘は続けた。「島殿との相性は、優れておるようだな」と、子供をからかう様な目線を三成に投げかける。
 三成は、投げられた言葉を頭の中で反芻し終えると、思い当たる節があったのか、顔が青ざめた。それを見た義弘は、満足そうに喜んでいる。
 これ以上からかって、無用な攻撃を受けたくなかった義弘は小姓の名を呼んだ。大きな声が庭に響き、潜むように寝ていた蝉たちが一斉に鳴き出した。
 忍び足でやってきた小姓に、今から石田屋敷へ行き、島左近を呼びつけ『三成を連れて帰るように』言えと、下命した。

 義弘は、押し黙ってしまった三成に感謝の言葉を言った。三成は、きゅっと眉間にシワを寄せた。
「礼を言われるようなことは何もしていないはずだが・・・?」
 ただ酔いつぶれていただけの三成に、感謝さえるような覚えなどない。
「いや、いや。三成のお蔭で、ほんの少しの幸せな時間を思い出すことができた。ワシは、それだけで満足」
「俺にはよくわからんが・・・義弘がそう言ってくれるなら・・・由とするほかあるまいな」
「あぁ」
 朱塗りの杯に浸された酒を、またも豪快に飲み干した。そして、酒に酔って気分の悪い三成に言葉を放った。
「お主と島殿の関係は、誓って、誰にも言わぬ。安心されよ」
おおらかな瞳を輝かせた義弘のいたずら心が、三成をさらに青ざめさせ、困惑させた。

そして、真夜中の蝉の鳴き声が、酒に酔った三成の頭に響いた。